「父親は夭折すべし」
父が手帳の片隅に書いていた言葉です。
真意は定かではないですが、歳を取りみっともない姿を見せるよりは、しっかりしている父親の姿をそのまま子供の目に焼き付けたほうが良い。
そんな気持ちで書いていたのだと、母から聞いたのを覚えています。
自分の運命を悟っていたのでしょうか。
その言葉を書いた父は、42歳という若さでこの世を去りました。
原因は肝臓がん、私が6歳の時です。
父の記憶はかすかに残っていますが、それは一緒に見た何気ない風景や、怒られた記憶、一緒に遊んだ事、死期の迫った頃の病院へのお見舞い、葬儀の風景と、全てが断片的であり、父が生きる中で積み上げてきた人生の智恵、知識について何かを教えて貰ったという記憶がありません。
普通に両親がいる家庭であれば、父親、母親の両方から様々なことを教えてもらい、それを自分の判断基準、大きく言えば人生観を作る糧とすることが出来る。
自分は、その半分しか与えて貰えなかった。
今考えると甘いですが、子供の頃の自分はそれをハンデとしてとらえ、コンプレックスとして心の奥に持ち続けてきました。
前置きはこれくらいにして、本題に入ります。
自分がEvernoteを使い始めて二年くらい経ったでしょうか。現在ノートの数は三千を少し越えるくらい。その殆どは仕事上での資料なので、そこには自分の考えを記録したメモはそう多くありません。
ある意味、自分で読み返しても面白みの無いものばかりです。
いま計画しているのは、現在保存してあるノート、そしてこれから色々な場面で自分の思考を書き留めていくノートを自分自身と関係のある意味を持ったノートにする事です。
具体的には、そのノートを作った時の自分の考えや気持ちを一言つけ加えること。
これで、他の人がそのノートを読んだとき、その追記されたメモを通して自分の思考を辿ることが出来るようになると思うのです。
これは自分自身がそのノートを読むことで過去を振り返るのではなく、もうすぐ二歳になる息子が大きくなった時に読んで貰うためです。
小学校の高学年位になったら、アカウントをそのまま譲っても良いかもしれません。
これから先、私が目にすること耳にすることで興味を持ったもの。何か問題に直面した時に解決の糸口となった情報や書籍、また日々の生活の中でふと思いついた考えやアイデア。
年を重ねるごとにそれらのノートは数を増やし、読み返される度毎に付け加えられるコメントはノート一つ一つの重みを増してくれるでしょう。
子どもが大きくなり、何かに困った時、悩んだ時、Evernoteを検索すれば父親の考えやアドバイスを無数のノートの中から見つけることが出来れば、たとえ父親が居なくなったしても、そこから父親の考え方や人生観を垣間見ることが出来るのではないでしょうか。
早いものであと二年もすれば亡くなった父の年齢を超えてしまいます。
まだまだ死ぬ気はないですし、教えられることは直接教えたいのはもちろんのこと。
でもこんな使い方を考えてみるのはなかなか面白いものです。
父の代、祖父の代から受け継がれてきたアカウントは、その個人の記憶を留めるだけでなく、家族の記憶をクラウドという新しい形の墓標に留め、後世に残すツールとなるのではないでしょうか。
電子書籍「あのプロジェクトチームはなぜ、いつも早く帰れるのか?」を発刊させて頂きました。執筆する際、最も力を入れた箇所、想いについてはこちら
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“我が子に贈るEvernote” への1件の返信