子供は預かり物だという気づき

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子供は授かり物だとよく言いいますが、預かり物だとも思うのです。

当たり前の話ですが、私たちが今ここに存在しているのは父親と母親がいるからです。もちろんその父親母親にもそれぞれ両親がいます。
祖父母あたりまでは、どのような人達で、どの様な子育てをしていたかを口ずてに知ることが出来ますが、それ以上はなかなか難しいでしょう。

ただ言えるのは、いま私達が子どもの健やかな成長を願い、その振る舞いに一喜一憂しているのと同じ気持ちで子供を育てていただろうということ。
おそらく、私達が子育てで苦労していることは、ご先祖様達も同じように苦労していたでしょうし、ご先祖様達が感じていた苦労は、私達もこれから同じようにするのでしょう。

人が親となり子供を育て、またその子供が親になることで繋がっていく一本の命。その長さを想うと今ここに生きていること自体が奇跡のようにも思えます。進化論的視点で考えるとなおさらです。

そう考えると、子供は気が遠くなる程の年月をかけて受け継がれてきた命を次の世代に繋げるための預かり物だと感じるのです。
その命の流れは大きな円を描き、一回りするたびに大きくそして高くなっていく螺旋のようです。

二年前の9月、子供が無事産まれたとの知らせを聞いた母が「よかったね、これで繋がったね」と話したときの気持ちは、おそらくこの様なものだったのでしょう。それと、次の命を繋げるタスキを僕らに渡し、自分の役目をやっと終えられたという安堵感があったのかもしれません。

「子供は預かりもの」

そんな気持ちで子供を見ると、日頃の接し方も少し変わるような気がします。

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“子供は預かり物だという気づき” への1件の返信

  1. 自分達夫妻には子供がおりません。
    もうそろそろいい歳なので、もう子供を預かることは無いでしょう。
    事情は色々あるので、やむを得なかったとは思っています。

    それでも、就寝時ふと天井を見上げると、自分たちで切れてしまう連鎖を意識することがあります。
    それが現実化するのはまだ先のことだとは思いますが、いずれ来る未来です。
    後悔や悲しみもあると思いますが、少しでもそれを少なくすることができるようにしたいと思って日々を過ごしております。

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